15年後、会社員をやめたい会社員の日記

2039年へ向けて、明日の自分に期待しつつ今日もよく寝ます。

ヒトはヒト、自分は自分

こんばんは。

いつも通り、芝刈りで腰がやられてしまいました。

電動芝刈り機・刈込バサミ・熊手を駆使して刈りすすめるわけですが、芝の間に石があると電動芝刈り機がはじいて物凄い速さで飛ぶので常に緊張状態なのさ。保護メガネとマスクもしてるけど恐いもんは恐いのさ。

 

■トピック:なりたい自分像

人と比べることとようやく距離がおけそうだ。

昔から、何かにつけて物差しを作っては「あの子は勉強も運動もできて羨ましい」「あの子は笑わなくても愛嬌を感じる雰囲気があって羨ましい」「あの子は…。」

彼・彼女らがその結果の裏でものすごく努力していたとしても、モチベーションを明確に持ち、自分に負けずたゆまぬ努力ができること自体羨ましかった。

今思うと理想ばかりで「じゃあ自分はどうなりたいのか、どうしたいのか」真剣に現実的に考えたことがなかったから、羨ましいばかりが募っていったと思う。あまりに自分を卑下した結果、公的機関の臨床心理士さんにお世話になるほどメンタルをやっちまった時期もある。ちなみにそれは高校生の時だ。後にも先にもガチ心理テストを受けたのはあのときだけだが、診断結果は「稀に見る完璧主義者。100点を越えなければ自分を許せないタイプ。」え?ドユコト?(自分にとっては普通のことなので、言われている内容の意味が本当に分からず苦労した。)

 

そこでの思考改善のかいあって、稀に見る完璧主義者から、完璧を求めがちな真面目っ子まで中和することができた。その時初めて、わざわざ周りのすごい人と自分を比べ続ける苦しさ、誰しも同じコミュニティに属していては見えない面があり、自分が比べているのはコミュニティ内で見える突出した一面であるかもしれないことなどが理解できた。すべてが百点だから自分なのではなく、自分が生きればすべて自分なのだと心が軽くなり、真面目じゃない自分の声にも耳を傾け、ちょっと遊びほうけてみる時期もあったくらい。(オトウチャン、オカアチャン、スミマセン)

 

20代は、学生から社会人となり物差しも変わった。これまたヒトと自分を比べていたと思う。特に女性はライフステージが分岐していく時期でもあり、好きなことで会社員業に邁進している自分が誇らしい反面、別の選択肢で生きている友人を羨ましく思う夜も多かった。でも、それらの道を選ぶのにハードルはない。環境や特別な事情に阻まれているわけではない。自分だってそうできるはずだ。けれどそちらへ進む足を出さないのはやっぱり選んでいるってことだし、選べている幸せがある。これを忘れないこと。

 

30代からは、持って生まれたものよりも生き様が目立ってくるという。ぜひともなりたい自分像を掲げ、物事を「羨ましい」ではなく「素敵だな」と尊重する心と、それでもどうにもならないことからは距離を置くというチョットの「大人げ」を持ち合わせたい。

 

ではまた。